先日お客様に「どうしてiPhoneの修理をやっているの?」というご質問を頂きました。
今まで、何度かこの仕事を始めた理由や続けている理由については、ブログに書いてはおりました。
しかし、新規のお客様も多数いらっしゃいますので、新しいお客様へ向けて、頂いたご質問にお応えする形で「開業〜法人化までの道のり」を簡単に書いておこうと思います。
ご興味のある方は、おつきあいください^^
まず、私は、18歳の時から、将来は自分で何か商売をしたいと思っていました。(現在は30歳です。)
そんな思いを胸に秘めつつも、起業するチャンスもお金もなく、なんなら20代前半の頃は、精神的に安定していなかったので、色々な意味で非常に苦しい時代でした。
なぜそもそも自分で商売をしたいと思い始めたかというと、ひとつは、父の影響です。
私の名前は、父が「将来、事業を起こして成功するように」という想いを込めて名付けてくれたそうなんですね。
女にしては強すぎるため、家庭運は無いそうです。笑
どの姓名判断を見ても、必ず「結婚しても離婚する」と書かれています。笑
そんな想いに沿うように、私は非常に自分勝手な性格に育ちまして、20歳過ぎくらいから「もう私には自分でお金を稼ぐしか、生きてく道はないな」と感じていました。
もう人の言うことが聞けないんですね。笑
「こんなに勝手な人間は誰かの元で働くのは無理だろう。自分の力で生きてくしかない」
そう感じていました。
それと同時に「この国は自分には息苦しいし、面白くない」とも思っていました。
というか、日本がどうこうというより、もっと冒険や挑戦をしてみたかったんです。
また、それまでの人生において、苦しいことが沢山あったので、”誰も知らない場所で新たなことに挑戦したい”という、漠然とした夢を持っていました。
そんな時、当時、東南アジアが急速に発展してきていることを知りました。
書籍や投資の宣伝もあると思いますが「少ない資本で起業できる」という謳い文句に、非常に興味をもちました。
「おっこれは面白いかもしれない」と感じ、仕事をやめ、約4ヶ月間、放浪の旅に出かけました。
マレーシア、タイ、ベトナム、カンボジア、インドネシア、スリランカ、韓国、シンガポール。
途中、日本に帰ってきたのですが、期間としては4ヶ月間くらいかな。
ひとりで各国をウロウロと放浪してきました。
この経験が、私の人生を大きく変えたといっても過言ではありません。
私は、各国いろいろ行く中で、ベトナムが非常に好きになりまして「将来はここに移住しよう」と決めました。
それと、この旅の最中、ベトナム・ホーチミンでリンという女性に出会いました。
現在も仲良しです。
彼女は聡明であり、度胸もあり、チャーミングでもあり、慈悲深い。
本当に素晴らしい人物で、私はかなり影響を受けています。
現在彼女は故郷のフエという町で、自分で教育関連のビジネスを立ち上げて、めちゃくちゃ頑張っています。
事業内容も優れている上、話題性もあるので、地元のTV局に取り上げられたりもしています。
私たちは、割と頻繁に連絡を取り合っているのですが、彼女は私にいつも「フエに移り住んで自分を手伝って欲しい」と言ってくれています。
さて、ベトナムに移住しようと決めた私ですが、現地で雇われるのは嫌でした。
ただ滞在するのではなく、自分で商売をしたかったんです。
そもそも、私は高卒なので、日系企業の採用はまず無理ですし、ビザ的にもかなり難しい部分があります。
ですので、もっと自分に力をつけて、時期が来たら渡越しようと考えていました。
当時は、まだリンも起業していなかったので、私自身、ベトナムに移住するというのも現実としてはあまり考えられず「とりあえず金貯めるか」という感じでした。
この頃、父が亡くなった友人の会社を引き継ぐことになり、急に思いがけず、社長になりました。
私は、父の会社で事務員として働き、父を手伝うことになりました。
それから2年ほどは、非常に平凡な毎日を送っていたんですね。
父も社長になったばかりで、365日中360日くらい働いていたし、タクシー会社なので、盆も正月もなく、長期休暇を取るなんて不可能なので、私も会社と家の往復だけで、日々を過ごしていました。
そんな生活を続けて2年ほど経った頃、父の会社の事務所が奥の空き家へ移ることになり、事務所として使っていたスペースが空くことになったんです。
それが何を隠そう、いまの当社です。
父の事務所が移転することになって、父が私に「何か自分で始めてみるか?」と提案してくれました。
私は、もう父の会社の事務に飽き飽きしており、退屈でやめたくなっていたので、渡りに船だったわけですね。
それと「お金を貯めて渡越しよう」と思っていても、現実、お金が全然貯まりませんでした。
夢は遠い遠い、それこそ”夢物語”のように思えていました。
「このまま雇われていても、一向にお金が貯まらないなぁ」と感じていたんですね。
そんな時に降って湧いた「開業」は、私にとっては、正直、ベトナム行きの小遣い稼ぎのような感覚でした。
「これがうまく行けば、早く資金が貯められるな」というのが、この商売を始めた動機です。
父が事務所を移転すると決めてから移転日までは、まだ2ヶ月ほどあったので、その間に何をやろうか決めようと思っていました。
しかし、私自身は特にやりたいこともアイディアも、これと言ってなかったので、「何やろうかなぁ」という漠然とした状態でした。
そんな時、またしても父が登場します。
父がある日、がっちりマンデーというTV番組でiCrackedさんの紹介を見たそうです。
その時に、私より若い女の子が、お客さんの目の前でiPhoneの画面交換をチャチャっとするのを見て「みきにこれやらせよう!」と思ったそうです。笑
スペース的にも十分、資本もそんなにいらない、若い女の子でも出来ていた、そして、取手・守谷地区にはまだ1件も修理屋がなかったので「これだ!」と思ったそうです。
その後、父からiPhone修理店開業の提案を受け、私自身も興味を持ちまして、いろいろ調べて考えた結果、「70%いける」との判断に至ったので、開業することに決めました。
もうひとつiPhone修理店を選んだ決め手としては”iPhoneが世界共通の商品であること”です。
いつになるかは分かりませんが、将来、海外に出た際に、この商売で身につけた技術や知識が役にたつかもしれない、と思いました。
どのようにかは分かりません。
ベトナムでiPhone修理店を開業しようとするほど、私は楽観的ではないので、直接的に結びつけたわけではありません。
しかし、何らかの形で役に立つ可能性を感じました。
それに修理という仕事は、人の役に立ちます。
また、学歴がいらず、やる気さえあれば技術を身につけられるので、雇用の面でも、今後何か世の中のために立てるかもしれないと思いました。
だから、将来どう活かせるかは分からないけど、総合的に「iPhone修理店に挑戦してみる価値はあるな」と感じました。
これが私が「iPhone修理店を始めた理由」です。
今だから言えますけど(というか過去にはちょこちょこ言ってきてはいますが)、私なんて全くの未経験で開業しています。
私は、千葉が当時働いていた会社が開催していた技術研修を受けて、2週間ほどで開業しています。
だから、私自身は修理させてもらいながら、覚えて鍛えてきました。
最初の半年くらいは、日々死にそうになりながら修理していましたね。
しかも、私は今でも父の会社の経理をひとりで担当しています。
従業員15人いる会社なので、決して少なくない仕事量です。
開業してからもずっと、経理の仕事は続けているため、仕事が終わらない時、特に開店半年くらいは、朝5時に起きて会社に来ていました。
体力的にはキツい時もありましたが、自分の好きなことをめいいっぱいやれている充実感は、とてもありました。
この仕事を始めたのは「手っ取り早く稼ごう」というのが大きな理由だったわけです。
最悪失敗しても、父の会社で働いてもいるし、少ない貯金を失うだけなので、リスクもほとんど無かったですしね。
何の因果か、私が開業したちょうどその頃に、リンから「起業したからベトナムに来なよ!うちに住んでいいから手伝って」という連絡をもらいました。
私は、その時すでに開業してしまっていたので、行けなかったのですが「もし失敗したら、もう身ひとつでベトナム行こう」とも思いましたね。
ちなみに”父はicrakedさんを見て「みきにこれをやらせよう!」と思った”と言いましたが、資金的な援助は一切してもらっていません。
開業時、事務所があまりにも酷い見た目だったので改装はしてくれましたが、そのあと家賃も払っていますし、お金は全く援助してもらっていません。
そこはケジメと根性、ですかね。
開業してから3年以上が経ち、もう本当にたくさんの出来事があったのですが「始めて正解だったか?」と聞かれたら「100%正解だった」と答えます。
今でもこの仕事を続けているのがその証明です。
この仕事のおかげで、たくさんの経験と学びの機会を与えてもらっています。
また、働く面白さや人の役に立つ幸福感、怒りや悲しみなどのマイナス面も含めて、今まで経験したことのない沢山の感情を知りました。
今、開業前に戻れても、全く同じ選択をしますし、全く同じ3年を歩むと思います。
後悔のない人生とは、まさに私の人生だと感じます。
この間ネット記事を読んでいたら、お笑い芸人の小籔千豊さんがこんなことをおっしゃっていました。
“好きなことで成功を収めた人がいるのはいいですよ。
素晴らしいことです。
でも、皆のやりたいことがすべての仕事でキレイに用意されてるわけじゃないですよね?
「やりたくないけどやったほうがいいこと」が仕事として求められることも、世の中にはたくさんあります。
そこで、目の前の仕事を、切羽詰まりながら謙虚にやれるか。
「伸びる人間」っていう質問に答えがあるとするなら、こういうことちゃいますか。”
“やりたいこと”を考えすぎるな。4年で新喜劇座長になった小籔千豊の「伸びる若手論」
私はこの仕事を始めるまでは、ドライバーを触ったことなど無かったです。
iPhoneに興味もなかったし、Apple製品にも全く無頓着でした。
しかし、縁があり、この仕事を始めることになり、なんとか続けてきました。
私が伸びているのかどうかは分かりませんが、結果として、続けてきたことは正解だったと感じています。
元々やりたかったことではなくとも、始めてみると、案外面白いこともあります。
また、それによって、思いがけない方向に道が開けることもあります。
私も時々、もうやめてしまいたいと思うことがあるんですね。
でもきっと、いま私が求められている場所というのは、自分の現在いる場所なんだと思います。
小藪さんのおっしゃるように、別に好きなことだけが正解ではないということですよね。
私は商売が好きなので、正直、どんな分野の仕事でもそれなりに楽しめる自信があるんですけど(笑)、決して、自分に合わないと思う仕事が「悪」ではないのではないでしょうか。
先ほど、私がこの仕事を始めたのは「さくっと稼いで早くベトナムに行くため」というのが第一理由だったということを書きました。
しかし、続けていくうちに、だいぶ状況も目標も変わってきて、今はベトナム行きはもうしばらく先だなと思っています。
そもそも、なぜ続けているのか?というよりも、続けさせていただけている環境に心から感謝しています。
店舗運営はお金が無くなればそこで終わりです。
どんなに続けたくても、金銭的な理由で続けられない人が五万といます。
そんな現実の中で、私にはお客様がいて、師匠がいて、父がいて、そういう支えてくださる皆さんのおかげで成り立っていることに日々感謝しております。
それだけは、本当に、”いつも忘れないでいよう”と心に刻んでいます。
では、話を戻しますね。
ほとんど未経験のままこの商売を始めた私がなぜここまで続けてきた(続けて来られた)のかというと、ひとつは「引くに引けなくなった」です。笑
始めた頃はほとんど修理の経験が無かったので、本当に大変で苦痛で、いつも「何で始めてしまったのだろう」と思っていました。
「想像していたのと違う」わけだったんですね。笑
この仕事って、まぁ正直、世間からナメられているわけですよ。
「誰でもできるんでしょ?」って。
今じゃそこら中に店がありますからね。
当時の私もそのひとりだったので、その気持ちは手に取るように分かります。
で、じゃあ、実際にやってみてどうだったか?
それはそれはもう大変でしたよ。笑
まぁそんなもんですよね、仕事なんて。
なんだって他人のやっていることは簡単に見えるものです。
そして、何よりも大変だったのは「使うパーツの品質の低さ」。
1年目はこれに苦しんで、かなり赤字を出してしまいました。
当時は、再生パネルの質が全く安定しておらず、いろんな業者のパネルを試しに試したからです。
パーツの低品質さに比例するように関わる人間もクズばかりで、当時まだ友人だった千葉と居酒屋で何時間も愚痴っていたものです。
「さくっと稼ごう」と思ってこの仕事を始めた私だったのですが、自分の正直すぎる性格がアダとなりました。
「こんなもの液晶純正パネルとして出せない!」というパネルが多すぎて、フロントパネルの仕入れ代が嵩み、結果、かなりの赤字を出してしまいました。笑
馬鹿ですよね。
そして、引くに引けなくなりました。笑
なんせ稼ぐどころか大赤字を出したので、そのままやめたら悔しいじゃないですか。
そんな気持ちで1年目は過ごしましたね。
1年目なんて「やめたい」の連続だったんですけど「赤字がもったいないから」と頑張って続けていたら、段々とこの仕事の楽しさと面白さに気付き始めました。
それが第2の理由ですね。
この仕事って、本当にすごいんですよ。
私たちはお金を頂く立場なのに、泣かれるくらい感謝されるという、ある意味で逆転現象がよく起きるんです。
目の前でこんなに感謝してもらえる仕事って、なかなか無いと思うんですよね。
それに病みつきになりました。
確かに世間からは色々と言われているけど、私自身はこの仕事は本当に素晴らしいと思っているし、愛してもいます。
そういうところで面白さを見つけたので、仕事が大好きになったのも、続けて来られた理由だと思います。
それと単純に、壊れているものを綺麗に直すっていうのも気持ちがいいです。
上でも書きましたが、元々興味もなくて好きでもなかった「iPhoneの修理」という仕事でしたが、目の前のやるべきことを必死でこなしていたら、いつの間にか好きになっていたという感じですね。
ほんと、最初に始めた時は「お金のため」でしたけどね。
何でお金のために始めた奴が、1年目に品質を求めすぎてパーツ代嵩んで赤字出してんだって話ですけど。笑
そういう性格なので仕方ないです。
私自身は多分この仕事には向いていないんでしょうね、好きだけど。
少しずつ仕事自体を好きになり始めた時に、千葉が仲間になりました。
これが続けてきた第3の理由ですね。
千葉は私の修理の師匠であり、当社の実務の部分を担っている顧問でもあります。
私は代表という肩書きこそありますが、私が決めているのはホームページと修理価格くらいで、あとはほとんど千葉がやっています。
私は働いてくれている千葉に対して責任がありますので、自分勝手にはやめられなくなりました。
それと私自身は、千葉が入ってくれたことによってかなり仕事の幅が広がり、さらに面白くなりました。
ひとりでは限界があるということを、身に沁みて実感しています。
いま、当社の屋台骨を支えているのは、実は修理ではなく中古販売なんですね。
中古販売は千葉がコツコツコツコツ続けてきてくれたことだったので、それがようやく花開いた形です。
中古販売と並行してApple製品の買取も行っているのですが、こちらも良い感じです。
これも千葉が日々相場の数字と戦ってきた賜物ですので、本当に有り難く感じています。
だいたい私ひとりでは後楽園店を始めることも出来なかったですしね。
諸々、本当にありがたいです。
いまはやっと心から信頼できる卸業者さんを見つけることが出来たので、無駄な仕入れ代がぐっと減ったこともあって、ようやく思い通りに事を進められるようになってきました。
また、今はiPhoneの修理に使用するパーツ以外の周辺機器・アクセサリ類は自分で海外から直接仕入れるようにしたりなど、工夫もするようになりました。
昔、独学で勉強した英語が役立っています。
人生は、どこでどんな知識や技術が役に立つか分からないものです。
以上が、開業〜法人化までの経緯です。
最初は単純に金儲けのために始めたのですが、
1年目は自分の性格が仇となり大赤字を出してしまって取り返そうとした→
2年目は師匠が仲間になったのと、仕事が楽しくなってきた→
3年目は東京にも店を持てた、ちょっとずつ歯車が噛み合い始めた→
4年目に法人化
というような流れで来ています。
私の背景を知ると、私の行動や運営方法が一貫していることを感じていただけるのではないかと思います。
また、背景を知ってもらうと、当社のことをよりご理解いただけるのではないかと思います。
今後の目標としては、中古スマートフォン市場において、信頼の証として「iTerminal」という名前を浸透させていきたいと考えております。
以上、開業〜法人化までの経緯でした!